3度目の緊急事態宣言、無策の果ての“危機感”を共有しよう

──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
松本誠のメールマガジン

「新型コロナ」市民ジャーナル(12)2021.4.25

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(13)公衆衛生と社会的対策の“無為無策”を、改憲議論にすり替え
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 新型コロナ感染症の3度目の緊急事態宣言が、25日から東京都と関西3府県に発令された。
 2度目の宣言の全面解除を決めた3月18日に、菅義偉首相は「再び宣言を出すことがないように対策をしっかりやるのが、私の責務だ」と語った。わずか1カ月余りで「責務」はどこかに消えた。1月8日からの2回目の宣言も「1カ月で絶対に阻止する」と決意を述べたが、宣言は延長を重ねて2ヵ月半におよび、そのたびに謝罪した。2月末の大阪など6府県の先行解除は、専門家らが変異株の拡大・脅威の懸念を主張したが、押し切った。大阪と兵庫はいま、医療崩壊の惨状の中にある。
 国内での感染が広がり始めた昨年2月以来、この国の政府の対応は「後手々々」を重ねてきたと言われてきたが、ここに至ると、もはや「後手」ではなく「無能、無策」というしかない。その犠牲者が56万人を超える累計感染者数であり、今日明日にでも1万人を超えるコロナ死者を生み出し、兵庫県だけでも入院患者の2倍にのぼる1500人が自宅待機を強いられている。大阪や兵庫の医療機関は一般治療の患者や一般救急患者に対応できず、一般診療を制限してコロナ対応に当たっているが、追いつかない。日本医師会の中川会長は宣言発令の何週間も前から「すでに医療崩壊に入っている」と訴えてきたが、それでも政府は地元知事からの宣言発令要請を4日も5日も先送りしてきた。
 医療現場が「大規模災害並み」という状況が、なぜ生じてしまったのか?

コロナ感染症対応の医療体制は、どこに責任があるのか?

 医療体制の強化は感染第1波の昨年春以来、ずっと言われ続けてきた最大の感染対策だった。欧米に比べるとケタ違いに少ない感染者数にもかかわらず、「医療逼迫」の懸念がずっと続き「医療崩壊」が現実のものになるのはなぜか? 23日の記者会見でも菅首相は質問に対して「日本の医療体制は民間の病院が多く、自治体を通じてお願いするしかない」と答えた。自治体からのコロナ病床提供の要請を受け入れない病院に対してペナルティを課す仕組みもつくったが、提供可能な病床は焼け石に水だった。
 日本の医療体制は、病床数は欧米に比べても多いが、医師や看護師などの医療従事者では欧米に劣る。病床の多くは生活習慣病に対応したもので、医師や看護師を手厚く配置する必要がある感染症病床や急性期病床はコストがかかるため減らされ、欧米に比べて極端に少ないと言われてきた。その実態が第3波最中の3月24日付け毎日新聞「病床逼迫は長年の政策のツケ」から引用してみよう。
 記事は鹿児島大学の伊藤周平教授(社会保障法)への取材をもとにまとめたものだ。

「健康自己責任論」と医療費削減の中で激減した感染症病床や急性期病床

 政府はこの20年間、結核などの感染症の患者が減ってきたことを理由に感染症指定医療機関や感染症病床を削減してきた。
 全国に約8300ある病院総数に対して、新型コロナに対応できる第2種感染症指定医療機関は351病院しかない。そのほとんどは公的病院が担っているが、感染症病床は病室の空気が外に漏れないようにするなどの設備や機器が必要なこともあり、1996年には9716床あった伝染病床が1758床に激減している。しかも、病床数全体は1999年から2019年までの間に25万2400床が削減されている。感染症はインフルエンザなど毎年流行するもののほかにも新興・再興感染症がさまざまにあり、患者全体は減っていないのに病床数だけは大幅に減らされてきた。そこをコロナ禍が直撃したのだ。
 世界保健機関(WHO)は、医療サービスの充実や公衆衛生は本来、国が責任を持って担うべきだとしているが、日本政府はこの方針に反して「病気は個人の生活習慣の結果起こるものである」と刷り込み、健康の責任を個人に転嫁してきた。2008年には健康寿命を延ばすことをめざした国民健康づくり運動(通称・健康日本21)をはじめ、保健所も感染症対策から個人の健康指導や教育に力を入れるようになった。
 「健康自己責任論」にシフトした狙いは、医療費の削減だった。高齢化の進展によって医療費の増大が財政を圧迫するという危機感から、医療費の抑制が厚労省に課せられた。
 経済開発協力機構(OECD)の調査では、人口1000人当たりの病床数は日本が13.0床でドイツ8.0床、フランス5.9床、イタリア3.1床、米国2.9床など主要7ヵ国に比べて表面上はまだ日本が多い。しかし、医師数は人口1000人当たり2.5人で35ヵ国中28位。ベッドがあっても人手が足りない。人手不足は長時間労働を招き、過労死ラインの月80時間を超える時間外労働で働く勤務医が8万人もいる。
 また、医師や看護師を手厚く配置する必要がある感染症病床や急性期病床はコストがかかるために抑制され、集中治療室(ICU)も1996年には全国で8514床あったが、2017年には6301床に削減されている。人口10万人当たりのICU 病床は、ドイツが29~30床なのに対し、イタリアは12床程度、日本はさらにその半分以下の5床程度しかない。日本集中治療医学会が昨年4月に出した理事長声明では、新型コロナによる死亡率がドイツでは1.1%、イタリアで11.7%と大きな開きがあった点に触れ「集中医療体制がより脆弱な日本では深刻な状況になりかねない」と警鐘を鳴らしている。

民間病院へのコロナ対応要請を繰り返すだけの“無策”と見当違い

 日本の病院は約8割が民間病院だが、国の政策誘導の結果コストのかかる急性期病床や感染症病床を減らし、少ない医師と看護師で対応できる療養型の病床が多くを占める。人手も設備も感染症患者の受け入れに対応しにくい受け皿になっているから、コロナ患者の受け入れは物理的に難しく、受け入れたら赤字になりコロナ補助金では対応できない。しかも、90%ぐらいの病床利用率を維持しないと採算が取れない構造になっており、コロナ患者を受け入れると一般患者にしわ寄せがいくことになる。
 こうした日本の医療体制の中で、第1波以来「医療体制の強化」を口にしながら、政府は自治体を通じての「要請」を繰り返す以上のことには手を付けてこなかった。自治体も東京都や大阪府が公立病院の一部を「コロナ専用」に切り替えたり、30床程度のプレハブ専用病棟をつくる例はあったが、大阪では第3波に対して医師や看護師の手当てができないままフル稼働には至らなかった。
 軽症や無症状の感染者を借上げホテルの療養施設に収容する対応も行われたが、消毒や感染対策への対応から稼働率が半分にも満たない状況が続出し、現在では入院患者の倍を超すような感染者が自宅待機を強いられ、重症化して対応が遅れたままなく亡くなる人が4月になって続出している。
 だが、この期に及んでも、抜本的な医療体制の強化に踏み出さないのはなぜなのか?

法定感染症の専門病院は国の責任、なぜコロナ臨時病院を政府の責任でつくらないのか

 昨年2月、急激な感染拡大で都市封鎖に踏み切った中国・武漢市で1週間余りの間に1000床のプレハブ臨時病院が2か所も建設されたという報道に驚いたが、武漢ではこれ以外にもコンテナ病院や公共施設16カ所を臨時医療施設に転用したり、既存病院の改造などで1万2000床のコロナ専用臨時医療施設を開設していた。無症状や軽症者には、530超のホテルや療養所を隔離施設に転用したという。
 感染拡大当初は、既存病院で対応できず多くの自宅待機者が生まれたが、自宅待機は病状の急変に対応できないほか、家族への感染拡大や隔離の徹底ができないことから、臨時病院に踏み切った。
 武漢市の感染者はピーク時には1日2000人を数えたが、3月末にはほぼ収束し4月8日には2ヵ月で都市封鎖を解除した。武漢市の短期間での感染収束は、臨時病院による隔離が感染の勢いを止めるカギになったと評価されている。
 もちろん、中国全土から5万人の医師・看護師を短期間に動員するなどができる政治と社会体制の違いはあるが、感染を防ぐ決め手は医療体制にあることは政治体制を問わず重要な対策であることは変わりない。米国などでもコンベンションホールなどの施設を拡張した臨時病院が各地につくられ対応していた。爆発的な感染に対応しているインドでは、1ヵ所で1万床もの臨時病院をコンベンションホールにつくった例もある。
 コロナ専用の臨時医療施設の必要性は、日本でも第1波以降再三にわたって唱えられてきたが、政府は全く手をつけようとしなかった。高度な感染症対応訓練と人員、装備を持つ自衛隊の活用は、当初のクルーズ船対応では出動させたが、以降はほとんど目立った運用もない。昨年、北海道と大阪に看護師数名ずつを1、2週間派遣したことはあったが、「やってます」の見せかけだけだった。東京では延期した五輪用の施設や宿舎が大量にあり、この活用を提案する声もあったが、ついに動かなかった。

 すべては「五輪開催」を優先する配慮から、感染症対策が「大ごと」になることをためらわせたことは容易に想像できるが、コロナ対応を終始甘く見てきた結果、感染症対策を1年間にわたって「無策」状態においてきたツケがいま一気に押し寄せているのではないか。3度目の宣言発令は、なんと期間は17日間。宣言発令と同時に「延長は不可避」と見られている。これも「五輪ありき」とは、あきれるほかない。

まこと流まちづくりの地平 ◇ 松本誠
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