呑兵衛逍遙 09 ◇ 2008.7.27

まこと流まちづくりの地平 ◇ 松本誠

89歳、往年の「日照権おばさん」の矍鑠(かくしゃく)ぶり
── 30年ぶりの再会、住民運動の気骨変わらず

 おそらく30年ぶりの再会だったろう。7月下旬のうだるような暑さの昼下がり、佐藤きよ子さんのお宅を宝塚市逆瀬川上流の高台に訪ねた。開け放った玄関に打ち水をして待ち受けた佐藤さんは、まるで昔の恋人にめぐり合ったかのように歓迎してくれた。

 今年89歳。やせ細った体つきは昔と変わらない。次々と鉄砲玉のように飛び出す言葉も、30数年前と変わらない。80歳前後の元気な高齢者は何人も周囲にいて、一緒に活動しているが、90を前にしてのこの元気さには圧倒された。

70年代マンション建設ラッシュ下の建築公害反対運動の先駆者

 佐藤さんは60年代後半から70年代にかけて、当時住んでいた西宮市を中心に、阪神間はもちろん関西全域にかけて「マンション公害」と闘う住民運動を支援して駆け回っていた。自らの住まいに隣接して低層住宅街の真ん中に高層マンションが計画されて反対運動に立ち上がった経験を、住み良いまちづくりを進めるための「建築公害反対運動」に発展させ、建築基準法の不備を突き、裁判闘争を次々に提起しながら自治体に「日照権条例」や「建築公害規制条例」などをつくらせる大きな流れをつくった「日照権おばさん」である。当時「建築公害反対関西市民連合」に発展させて、近畿一円にその名をとどろかせた。

 70年代には、阪神間で飛躍的な盛り上がりを示した多様な公害反対住民運動の先頭に立ち、道路公害や当時神戸・阪神沖に計画された関西新空港反対運動のリーダーとしても、その力は遺憾なく発揮され、地元西宮市では当時画期的な住民運動支援活動を展開していた市の職員労働組合とも手を結び、西宮市の住民会議の代表としてもリーダーシップを発揮した。

 40歳代でそんな運動をリードした佐藤さんは、実は戦後の日本国憲法制定直後の第22回衆議院選挙(1946年)で女性参政権が実現し、完全普通選挙が行われた際、女性79人が立候補し39人が当選した中の一人だった。大阪府の選挙区から立候補して当選したとき、26歳だった。昨今は若手の政治家がはやされているが、いわば若手代議士の先駆けでもあった。

 私の新聞記者の駆け出し10年間は、文字通り、住民運動の報道に明け暮れていたが、市民とともに歩むジャーナリスト魂を現場で磨いてくれた数多くのひとりが佐藤さんでもあった。

今も続く支援活動、新たに釜ケ崎の路上生活者支援も

 高層マンション建設に伴う紛争は現在に至っても絶えることがない。佐藤さんはその後も各地のマンション公害に直面した住民から支援を求められると出かけたり、自治体からアドバイスを求められる日常は今も続いていた。

 6年前、元朝日新聞写真部記者だった夫を亡くして独り身になってからも、建築公害との闘いの記録を出版するほか、若いときに住んでいた大阪市西成区・あいりん地区の路上生活者を支援する活動にも乗り出した。毛布や衣類などの支援物資を募って送るだけでなく、路上生活者が携われる仕事を創出しようと、エコバックづくりを始めた。使われなくなった傘を集めて、支援グループの「釜ケ崎支援機構」と提携し、布を取り外し、洗濯、アイロンがけまでを路上生活者が担い、縫製などは地元のボランティアグループが協力する仕組みだ。単なる物資を送るだけでなく、仕事を生み出し、働く喜びを感じてもらう仕組みを創出する、極めて現代的な支援活動に脱帽するばかりだ。

 千客万来の自宅での面会時間はあっという間に過ぎ去ったが、今日の国政に関する嘆きや、明石、神戸・阪神間の自治体の現状と住民・市民の意識状況にも鋭い視線を見せ、自治体改革とまちづくり、市民運動の展望について鋭い議論を交わすことができたのには、本当に驚いた。

 こちらは、まだ弱冠64歳。負けてはいられないという思いにさせられたひと時だった。