明石まちづくり小史 06

まこと流まちづくりの地平 ◇ 松本誠

明石海峡大橋開通から10年、消えた大蔵海岸の”幽霊ビル”
── 無謀な開発優先行政が生んだ財政負担と、いのちの犠牲

 この4月初め、明石海峡大橋はじめ瀬戸内に架かる本四架橋3ルートは、メディアの脚光を浴びた。明石海峡大橋が開通してから10年、岡山―坂出ルートの瀬戸大橋が開通して20年の節目を迎えたからだ。広島―愛媛ルートの「しまなみ海道」も含めて、いずれも利用通行台数が当初予想を大幅に下回り、赤字を重ねて自治体や国の”出資金”という名のもとに巨額の税金が投入され続けていることも、盛んに報道された。全国の高速道路網とともに、将来への膨大なつけ回しが進行中である事実に、目をそむけるわけにいかない。

 さて、明石のお膝元でも、明石架橋に”夢”見て巨額の税金を投じ、バブルの悪夢となった大蔵海岸埋め立ての失敗例が、また一つ歴史を重ねたことが明らかになった。

 明石海峡大橋開通による観光需要を当て込んで貴重な藻場を埋め立てた大蔵海岸に、完成直前で工事がストップしたまま9年間放置されていた通称「幽霊ビル」が解体されて更地になった。その跡地に、今度は岡山の食品主体のディスカウントストアが出店する話が進んでいると神戸新聞に報道された(4月18付け明石版)。

 大蔵海岸埋立地は、明石海峡大橋の着工が決まった1980年代の後半に神戸市の舞子、垂水海岸の埋め立てとともに計画された。時はバブル経済の真っ只中。埋立地にホテルやレジャー施設を誘致し、土地を売却すれば埋め立て費用を回収できて、観光客が押し寄せてまちの活性化を図れるという「ばら色の夢」が描かれた。18万7000平方メートルの埋立地のうち約5万平方メートルをホテルやマリンスポーツセンター、魚の町広場などに売却し、埋め立て造成費用約270億円を回収しようという皮算用だった。

 計画が具体化したのはバブル経済が崩壊し、戦後初めて土地価格の下落が始まった1991年の秋だった。すでに、大阪の関西国際空港対岸に埋め立てた開発用地りんくうタウンでは、土地の売却が暗礁に乗り上げ、大幅な土地価格の下落が始まって大騒ぎになっていた。明石でも、大蔵海岸周辺の住民らを中心に埋め立て反対運動が高まっていたが、市はこうした警告を押し切って93年に予定通りの計画のまま埋め立て免許を申請し、着工した。着工から1年半後には阪神・淡路大震災に見舞われたが、いち早く工事を再開し98年4月の大橋開通に間に合わせようとした。

 埋め立て造成事業は大橋開通までになんとか間に合ったが、土地の売却は全く立ち往生し、大橋完成イベントは更地の埋め立て地で行われた。かろうじて唯一地元の事業者に売却できたのが、レストランビルの建設計画だった。土地を買った地元の事業者は自ら事業に乗り出さず、三井信託銀行を中心にした大手企業5社による土地信託方式に委ね、鉄筋4階建て、延べ床面積9500平方メートルのレストランビルの建設が始まった。

 ところが、それも束の間、建物の概観が整った完成直前で工事がストップ。20数店舗計画されたテナントが集まらず、当初の99年春の開店予定を一年延ばしにしながら、総事業費25億円をかけたビルはそのまま9年間にわたって放置された。

 大蔵海岸の埋立地はその後、土地売却をあきらめて賃貸に切り替え、誘致事業も二転三転しながら、現在のように入浴施設、スポーツジム、住宅展示場、大型スポーツ用品店が軒を連ねる。そこへ飲食施設の代わりに食品スーパーが出てくる見通しになり、当初の海岸の利用計画とは似ても似つかないものになった。

 大蔵海岸の埋め立て事業は、市バスや病院、水道などの公共事業以外では明石市が初めて手をつけた独立採算を前提にした企業会計で進めた。当初は「市民には一切負担をかけない」と公約し、造成完成時点には土地の売却を終えて企業会計を閉鎖する予定だった。したがって、資金はすべて銀行からの借り入れで行ったため、売却が進まないことから金利が雪ダルマ式に増えていく。このため、震災直後の95年度にはいち早く赤字の穴埋めのために一般会計から補填することに転換し、借金の半分以上にあたる150億円を税金で肩代わりした。それでもまだ、90億円余りの借金を抱え、地代は利息に届くかどうかの状態のために、企業会計は閉鎖されないまま先の見通しがつかめない状態である。

 大蔵海岸埋め立て関連に投じられた税金は、これだけではない。第二神明道路大蔵インターからまっすぐ南下して大蔵海岸に直結するアクセス道路朝霧―二見線は、JRや山電、国道2号線を跨線橋で越える大がかりな道路事業で百数十億円を要した。いま建設中の県道黒橋線も大蔵海岸へのアクセス道路として当初は計画され、巨額の事業費が投じられている。

 7年前の2001年7月21日に起きた「大蔵海岸花火大会事件」は、このような中で発生した。大蔵海岸へなんとか企業誘致を果たしたいという市の焦りが、安全を軽視した大型イベントの強行につながり、11名の命を奪った。5ヶ月後には、同じ場所で砂浜陥没事故を起こし、また一人の幼児を犠牲にしてしまった。

※大蔵海岸花火大会事件の背景と教訓については、松本誠著『市民が変える明石のまち』(2003年3月、文理閣刊、500円)を参照ください。