明石まちづくり小史 02

まこと流まちづくりの地平 ◇ 松本誠

明石海峡航路の行方

 今年は明石海峡大橋が開通した1998年4月5日から、ちょうど10年の節目を迎える。「夢の架け橋」といわれた明石海峡への巨大な吊橋が開通したことによって、交通の要衝・明石の位置は大きく揺れ動いている。

 明石と淡路島の岩屋間に連絡船が就航したのは、山陽鉄道神戸―明石間が開通したのと同じ1888年だったから、同じく120年になる。蒸気船日吉丸が1日5往復した。その後明治の末ごろまでには淡路島の東西海岸線沿いに南下する東浦、西浦の航路も開設され、淡路島南部の洲本や由良まで就航した。明治の末ごろの明石―岩屋間の往来は、1日500人ぐらいだった。

 大正時代には明石海峡と鳴門海峡に国道連絡設備を求める運動がおこされ、国営の連絡船の開設要望書を県議会が議決したり、淡路縦貫鉄道の敷設を求める意見書も議決された。

 戦後、こうしたニーズが明石海峡へのフェリー就航につながる。明石フェリーは当初、1954年4月(昭和29年)に県営明石フェリーとして開通し、日本道路公団の発足によって2年後の1956年7月に公団に引き継ぎ、文字通り「国道フェリー」になった。

 明石海峡大橋の起工式がおこなわれた1986年、同フェリーは32年間の“官営航路”に終止符を打ち民営化されたが、その当時で4隻のフェリーが1日38往復し、約2000台を運んでいた。
 船舶を運行する航送組合と料金収受や管理業務にあたる公団職員を合わせて200人を超す従業員が働き、年間26億円程度の料金収入を上げて単年度収支は黒字だった。

 また、フェリーと並行して就航している明石―岩屋間の旅客航路は、フェリー開通時から10年間で3倍に増えて年間328万人(1964年)が利用、フェリーの民営移行当時で481万人(1985年)まで増えていた。1日の利用者数が1万人を超す盛況で、明石駅前中心市街地にある本町の明石港から明石駅までの商店街はにぎわった。

 しかし、フェリーの民営移行から12年、1998年の明石海峡大橋の開通で状況は激変する。大橋の開通で、神戸・阪神間、大阪、和歌山方面と淡路島や徳島を結ぶ海上航路のほとんどは姿を消し、かろうじて明石海峡航路が残ったが、フェリーも旅客航路も従業員を極端に減らすなど合理化に次ぐ合理化を重ねたが、常に廃業の危機にさらされる。

 大橋が開通した翌年秋には、架橋に伴う特別措置(助成金)が切れる2000年4月までに航路を廃止することを表明。あわてた明石市と淡路島の自治体が第三セクターによる航路存続を打ち出し、大橋開通と同時に航路を廃止した甲子園高速フェリー株式会社を中核として明石市と当時の淡路1市10町が出資した「明石淡路フェリー」を設立し、2000年7月から事業を引き継いだ。このとき1日36往復の便を継続、59人に減っていた従業員も継続した。

 大橋の方は公団が2003年に通行料金を約1割値下げしたのに対し、フェリーも最大2割の料金値下げで対抗し航路維持の努力を続けているが、基本的には事実上税金で維持されている大橋(高速道路)に対して公的資金の導入のない民間航路が並立して維持していくのは厳しく、旅客航路とともに常に経営危機にさらされている。

 阪神・淡路大震災の際に鉄道や道路が寸断された中で、海上交通が大きく見直された。明石、神戸、加古川、姫路などから大阪方面への足として臨時の海上交通が開設されて、大きな役割を果たした。淡路を経由する海上交通網も機能を発揮した。

 その経験から自動車交通の偏重を改め、海上交通や鉄道輸送への転換を進める「モーダルシフト」が提唱された。明石海峡大橋が開通しても、非常時の危機管理対策として大橋1本に頼らず、海上交通を併用していくことの重要性も指摘された。

 だが、大橋開通が実現すると同時に、そうした提唱は雲散霧消したかのように、大阪湾沿岸と淡路島を結ぶ航路は壊滅し、唯一残った明石海峡航路も常に風前のともし火の状態にある。

 明石海峡航路の行方は、120年間にわたって海の玄関口であった明石のまちにとって大きく影響するが、それ以上に淡路島と四国を結ぶ関西の各都市にとっても危機管理上大きな課題でもある。

 明石海峡大橋には他の本四架橋ルートとともに、莫大な建設時の借金が残っている。本四公団は2005年に民営化されたが、建設時、正確には計画時点から地元の府県と政令指定都市10団体には巨額の出資金の負担が課せられている。

 兵庫県の場合、大橋が開通した1998年から7年間は毎年52億円、公団が民営化された2005年からは毎年38億円余の出資金を拠出している。建設費の借金の債務返済で国と関係自治体で毎年800億円を負担するという協定にもとづくものだ。
 兵庫県では県とは別に神戸市もここ3年間では毎年23億円余を出資しているから、県民の税金から毎年60億円余が大橋につぎ込まれていることになる。

 県民の日常の暮らしの維持や非常時のセキュリティのためにも、たとえこの1割でも5%でも、航路維持に拠出されれば安定した運航が可能になるかもしれない。道路への偏重した税金の使い方を、見直すためにもいい事例だとは思う。

(明石市史:下巻を主として参照)