直面する2つの「危機」を乗り越える道筋

──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
松本誠のメールマガジン

「新型コロナ」市民ジャーナル(4)2020.5.25

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(5)「空回り、ばらまき、便乗」三重奏のコロナ経済対策
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 私たちはいま「2つの危機」に直面している。
 一つは、世界の感染者数が540万人を超え、死者が34万人を超えた(5月25日)新型コロナ感染症のパンデミックだ。感染者は12日前後で100万人ずつのぺースで増加している。すでに感染拡大の焦点は、欧米から新興国や途上国へ移りつつある。対応が遅れているアフリカでは、今後1年間で4400万人が感染し、19万人が死亡する恐れがあるとWHOは警告している。国内では21日、関西3府県の緊急事態宣言が解除され、次いで25日には首都圏なども全面解除になり“規制緩和ムード”が広がっているが、政府も自治体も第2波、第3波の感染拡大を懸念しながら、不安を抱えたままである。
 もう一つの危機は、パンデミックに対応するこの国の「政治の危機」だ。国内での感染が確認されてからすでに4ヵ月を超えたが、感染症に対応する中央政府は相変わらず“機能不全”のままだ。3月半ばまでは中国国家主席の訪日や東京五輪への影響を気にして“後手後手”に回り、習主席の訪日が中止になり五輪が延期になった途端慌てふためいた対応の中で「及び腰の緊急事態宣言」を発する一方、「アベノマスク」騒動や国民への給付金、経済対策での迷走が続いている。
 最大の課題である「医療崩壊」や検査体制への対応は、掛け声だけが虚しく響くだけで、次への備えは未だに目標にとどまっている。その最中に、政権の意のままに検察支配をもくろんだ検察庁法改正案を強引に成立させようとして、国民の猛烈な反対の声に強行断念に追い込まれたうえ当の検事長が失脚する事態に至るなど、コロナ対策に本気で取り組む姿勢が乏しいことも露呈してしまった。

絡み合う「2つの危機」が、コロナ対策の将来に不安を呼ぶ

 この2つの危機は、一見すると別の課題に見えがちだが、実は密接に絡み合っている。
 新型コロナ感染症は極めて難儀な疾病で、罹らないためには基本的には一人ひとりが感染防止に努力することが不可欠だが、個人が気をつけていても知らずのうちに感染し、さらに知らずのうちに他の人に感染させてしまう対応の難しい感染力を持つ。感染すれば、状況によっては急速に重症化し、死に至りかねない。
 しかも、中国で始まった感染拡大が、あっという間に猛スピードで全世界に広がった。地球規模での人の移動が激しくなった、“グローバル時代”ならではのパンデミックと言われる所以だ。したがって、網の目のごとく結び合っていた陸海空の交通が遮断され、世界的にも国内的にも人々の往来が禁止・規制されるという初めての状況が長期にわたって続いている。
 もはや、この疾病への対応は、ヒトへの感染拡大を医学的に止めるというよりも、大はグローバルなレベルから小は地域コミュニティのレベルに至るまで、あらゆる「人の動き」を止めたり抑制するという社会的、経済的な活動規制が、最大の対策にならざるを得ない。世界のすべての国で、「人と人の接触」を抑制することが最大の課題になり、外出制限による経済混乱をもたらすことにつながった。感染症対策を重視すれば経済活動にブレーキがかかり、経済活動を優先すると感染症の拡大につながる“ジレンマ”に追い込まれている。
 したがって、戦後長らく続いてきた経済の果てしないグローバル化、観光立国やインバウンドへの過剰な期待などによる「過剰な人の往来」による経済発展を見直し、食料やエネルギー、工業製品の国内自給率の向上などによって行き過ぎた国際化を是正することが、コロナ禍の中で見直す課題として浮かび上がっている。
 しかし国内では、1年延期したオリンピックの来年開催にこだわる安倍首相が「間に合わせるのは不可能」という専門家の意見に反して治療薬やワクチン開発に“前のめり”になっている。本来は、政治が真正面から向き合わねばならない新型コロナ感染症の本質に対する対応が欠落しているが故に、コロナ対策が空回りになり、長期的な展望を示すことができないまま、国民の不安を増加させていると言えないか。

国内の感染拡大が小康状態になった今、急ぐべき対応は何か

 新型コロナ感染症対策で「都市封鎖」や強い「外出自粛」が求められるのは、医療崩壊を防ぐためだと専門家も政府も言う。国内では3月末から4月にかけて強い外出規制策が取られたのは、感染者の爆発的な増加で医療機関がパンクする懸念があったからだ。欧米で目の当たりにした爆発的な感染拡大と医療崩壊の現実を前に、感染症への医療体制がそうした国々よりもより貧弱な日本の現実に医療現場や政府と自治体が青ざめたのは当然だ。
 医療体制の国際比較では、日本は病院数や急性期病床数では世界一の体制はあるが、人口当たりの医師数や看護師数は大きく見劣りし、とくに新型コロナ対応で重要になる、重篤な急性機能不全の患者に対して24時間体制で対応できる集中治療室ICUの病床数が極端に少ない。人口10万人当たりアメリカの34.5、ドイツ29.2、イタリア12.5、フランス11.6、韓国10.6床に対して、日本は7.3床という少なさだ。政府はICUの緊急増床や人工呼吸器の確保を挙げているが、病床や設備は思い切った予算を投入すれば増やせてもそれを扱う人的資源の確保が難しいと指摘されている。
 SARSやMARS以降、感染症への対応が専門家から警告されていたにもかかわらず、逆に医療体制の縮小や縮減に努めてきたツケが、コロナ感染症で一気に噴き出している。しかも、2月以来その体制強化が声高に訴えられているにもかかわらず、これまでに効果的な対策が取られていないのはコロナ対応の医療関係予算の極端な少なさが物語っている。医療界や野党からは数兆円単位の緊急予算を組んで、人的、物的対応の必要性が指摘されていても、これまでの補正予算に計上された医療関係予算はわずかに1500憶円程度に過ぎない。マスクの確保や治療費開発などその他の予算すべてを合わせても8000憶円程度にとどまる。
 こうした姿勢が、未だにPCR検査が進まず、現場を担う保健所体制の強化は俎上にも上がっていない。この3ヵ月間で病院の財政も火の車になり、医療従事者の崩壊が切々と訴えられるが、政府の反応は鈍いままだ。幸い感染症の拡大が一息ついて“小康状態”になった今こそ、次の波に備えて医療体制の強化をしゃにむに進めねばならない時期だが、喉元過ぎれば目は経済対策に向いてしまっている。
 もはや、感染症に対応する医療と経済の2つのベクトルを、長期的な視野を持って対応する目線と能力をこの政府は持ち合わせていないことが明らかになっている。

「2つの危機」を乗り越える主体は、市民と自治体(地方政府)

 緊急事態宣言の全面解除に踏み切った25日、安倍首相は記者会見で「日本ならではのやり方で、人口当たりの感染者数や死亡者数をG7の中でも圧倒的に少なく押さえ込むことができて、わずか1ヵ月半で今回の流行をほぼ収束させ、日本モデルの力を示した」と胸を張った。
 だが、本当にそうか? 欧米に比べて日本の感染者数や死亡者数の少なさは関心を呼んでいるが、圧倒的に少ないPCR検査数によって感染していても数字に上がってこない感染者や死亡者の“潜在数”がさまざまに指摘されている。首都東京の感染者が急増した1ヵ月ほど前には東京の医療崩壊が危険水準に達していたきわどい状態だったことは、すでに忘れられている。
 東京五輪について問われた際にも「コロナとのたたかいは長期戦を覚悟としながら、来夏には人類がコロナ感染症に完全に打ち勝った証として完全な東京大会を開催したい」と言い切る。そのために、専門家の警告を受けても治療薬やワクチン開発に前のめりになる。すべてが自己の政治的都合で、この歴史的なパンデミックを左右しようという唯我独尊の宰相の下に、この国の人々の命運が握られている。

 日本だけではない。この半世紀余、世界をリードしてきた先進国のほぼすべてのリーダーと政府が同じような状況に置かれている。秋に大統領選を控えた米国では、安倍首相の“盟友”トランプ大統領は世界も科学もお構いなしに選挙優先のコロナ対応に終始している。首相のコロナ感染や政府の方針変転を繰り返す英国、どん底まで落ちたイタリア、EU諸国はコロナ後の連携の糸口さえ見い出せないでいる。
 世界のリーダーも国内のリーダーも不在の中で、市民に降りかかる「2つの危機」を乗り越えていくのは、市民自身であり、市民に身近な自治体が市民と連携して危機を切り開いていくしかない状況に直面している。

まこと流まちづくりの地平 ◇ 松本誠
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